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2016/02/04
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投稿: 旅システム (11:17 am)
韓国慶州にある在留日本人女性の保護施設『ナザレ園』
ツアーが慶州に入るときには必ず訪問しています。
今年も宋園長先生から年賀状がとどきましたので、ご紹介します。


ナザレ園年賀状
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2016/01/26
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投稿: 旅システム (11:02 am)

有角拓矢さん


 10月31日.11月1日に開催された日本平和大会in富士山に参加しました。米軍と自衛隊が使用する富士演習場があり、「世界遺産の富士山にミサイルを撃つな」と全国から1000人を超える参加者が集まりました。最初に御殿場市内にある米軍基地《キャンプ富士》を視察しました。現地の方は、「御殿場市には基地交付金が国から交付されていて、使途は小中学校建設や温泉など施設利用の補助金に充てている」といいました。小学校は周囲の環境とは違い、とても立派な建物でした。交付金に頼った市の財政運営となっているように思え、地方自治体を金で操っているような政府のやり方は許せません。


デモ行進はドラムをたたきながら“富士山打つな”と叫んできました


 開会集会では、問題の根本は「日米安保条約」だとし、大本を正していこうと呼びかけられました。私の問題意識と一致していたので確信が持てました。韓国平和軍縮センターのイ・ミヒョンさんは、憲法9条が東アジアの平和の基礎を築いたことを忘れないでほしいと話され、9条は日本のものだけではないと改めて感じました。
 全国各地から運動の報告がありました。山梨の演習場では、オスプレイの山岳訓練だと伝えているそうで、「富士山にオスプレイは似合わない、県民を騙し戦争に突き進むことは許さない」と闘っています。沖縄の米軍辺野古新基地建設問題では、「防衛大臣は沖縄を抑止力のための重要な土地と言っているが、そこには県民の暮らしがある。沖縄を“土地”としか見ていないのはアメリカ従属の表れだ」と怒りを込めた訴えがありました。辺野古埋め立て取り消しは単なる行政手続きではない。人権を守る闘いだということが心に残りました。米軍基地は沖縄だけの問題ではなく、全国どこにでもありうることです。横須賀においても、最新の米原子力空母が配備され、永久に横須賀港を米軍港にしようとしています。日米政府は放射能は空母内に留めていると強弁しています。米軍基地の痛みを分かち合うのではなく、日本からその痛みをなくしたいと強く思いました。


富士演習場で使われた砲弾の破片


 集会が終わり、会場から宿泊ホテルまでタクシーで移動中、運転手さんと話しました。演習の時は砲弾が落ちるとその衝撃で家は基礎から揺れるそうです。これには驚きました。そして、「“基地がきて交付金がきて”道路や学校がきれいになった。温泉施設などの利用の際には補助金が出るようになった。無駄には使っていない」と話されました。本当にそれでいいと思っているのだろうか?と、複雑な気持ちになりました。しかし「でも難しいよね」といっていたのが、基地のある街の苦悩を物語っているようでした。
 2日目の朝、ホテル周辺を散歩しました。天候にも恵まれ、富士山がきれいに見えました。自然とその雄大さに引き込まれました。しかし、その麓には演習場があると思うと憤りを感じました。軍事訓練が日常となっているこの街のこと、日本社会のことを考えずにはいられませんでした。この日は分科会で、「入門編。何のための基地?」に参加しました。
 戦時中、日本人は「ジャップ」と差別されていましたが、「人間として見ないようにしなければ戦争はできない。あらゆる差別を克服することが重要だ」ということがとても印象に残りました。


富士山とその周辺の地域


 富士演習場で砲弾の欠片を持ち帰った方がいて、実際に触れることができました。ずっしりと重い鉄の塊。両端は鋭さがあるようにも思え、殺傷能力の高さがわかりました。これが実際に戦場で使われ、多くの民間人が犠牲になっています。まさに、富士演習場がアメリカの戦争の土台となっていることを肌で感じたような瞬間でした。軍事演習がある時は、「流れ弾にご注意下さい」と、アナウンスが流れるとのことでしたが、どう注意したらいいのか、注意しても防ぎようがないのです。そんなアナウンスを流すのではなく、演習場を無くさないと砲弾の被害はなくなりません。実際に御殿場市に来なければ知らなかったことでした。現地を見て学ぶ重要性を実感しました。
 最後は市内をデモ行進し、ドラムをたたき“富士山打つな”と叫んできました。とても注目され、車の中から手を振って下さる方がいて嬉しかったです。全国と連帯して運動する大切さを実感できた大会でした。日本のどこにも米軍基地はいらない。これからも頑張っていきたいです。

有角拓矢さん 札幌市在住
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2015/09/03
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投稿: 旅システム (10:37 am)
福島ツアーの時に訪問している福島県浪江町の「希望の牧場・ふくしま」さんからBECO新聞第2号が届きましたのでご紹介します。


BECO新聞第2号
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2015/08/24
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投稿: 旅システム (10:56 am)
 戦後70年を迎えた今年、北海道民医連で「いのちと暮らし、平和を守る憲法学習大運動」が行われています。その企画のひとつとして、6月17〜19 日、沖縄・辺野古新基地建設反対のたたかいに連帯しようと、全道の職員19人と一緒に沖縄を訪問し、座り込み行動に参加しました。


渋谷真樹さん


住民たちが味方になった瀬長さん
 那覇空港に着き、空調の効いた飛行機から降りると梅雨明けの強烈な太陽が待っていました。暑さに慣れるまもなく、「不屈館」に立ち寄りました。太平洋戦争後、米軍占領下の圧政と弾圧に抵抗し、本土復帰を実現した瀬長亀次郎さんの資料が展示されています。そのたたかいには常に、沖縄県民が味方についていました。那覇市長になった瀬長さんを支えようと、住民たちが率先して税金を納め、77%だった納税率が97%に跳ね上がったと知り驚きました。「税金を納めたい」と思わせる首長なんて、そう多くはないでしょう。

アメリカの植民地だ
 2日目は、普天間飛行場とその周辺の住宅地が一望できる嘉数の丘、嘉手納米軍基地が見渡せる安保の丘と、辺野古・キャンプ・シュワブゲート前を訪れました。 案内してくれたのは平和ガイドの横田真理子さん。国体護持のために沖縄が犠牲にされ、住民の土地が不当に奪われてきた歴史、米軍基地による経済効果が5%に満たないことなど、沖縄県民の思いを交えながら、豊富な知識をもとに紹介していただきました。
 嘉数の丘では、20人ほどの米軍兵士が学習ツアーを行っていました。横田さんは「彼らは平和学習ではなく、どうやって沖縄を攻略したのかを学んでいる」 と説明します。もし戦争が始まったら、沖縄戦が参考にされる……そう考えると悲しく、残念な気持ちがこみあげてきました。
 バスから見える景色には、常に米軍施設の金網がありました。金網の奥には大きな住宅や施設が広がり、その外には、日本人が暮らす小さな家々が連なっています。県民を「銃剣とブルドーザー」で追いやり、米軍には「思いやり予算」。あべこべです。沖縄は未だにアメリカの植民地なのだと確信しました。新基地が作られようとしているなんてありえない!そんな思いで辺野古、キャンプ・シュワブゲート前に向かいました。



本気の訴えに圧倒された
 「危険ですので立ち止まらないでください」「危険なことをしているのはあなたたちだ!県民の声を受け止めろ!あなたたちが立ち退かせるのは新基地建設を強行する人たちだ!」。
 米軍基地の金網の中から警察が抗議をやめるよう警告し、閉ざされたゲート前にズラリと民間の警備員が立ち並びます。その前にデモ隊が対峙し、くば笠をした沖縄のおじぃ、おばぁたちが拳を突き上げます。それ以上踏み込めば逮捕されるかもしれない、ギリギリのたたかい。今回の行動で、最も印象に残った場面でした。これまで何度もデモや集会に参加してきましたが、これほど迫力ある訴えを感じたことがありませんでした。
 ここで朝6時から10時間、毎日抗議の座り込み行動が続けられています。私たちが訪れた日は、100人を超える人がいました。陽気な司会者が、「色白で腹黒な私が、色黒で腹黒になってしまった」とジョークを飛ばし、参加者たちを笑わせました。夕方に30分ほど行われる抗議デモ以外は、替え歌や踊りなどが披露され、笑顔と拍手に包まれます。「怒るだけじゃ楽しくない。楽しくなければ続けられないね」と、日焼けしたおばぁが笑いました。

もっと自由に 楽しんで
 私は毎週金曜に北海道庁前で2時間、反原発抗議行動を続けています。3・11以降、再稼働を許してこなかったものの、いつまで続けるのか分からないまま、雨の日も吹雪の日も立ち続けるのはやはり辛いのです。その行動と座り込み行動を重ねました。私たちも、もっと自由にやっていいじゃないか。そう気づかされました。
 その日の夕方は自由行動となりました。那覇市の国際通りにある居酒屋で、今回の行動ではじめて沖縄らしいものを口にしました。海ぶどう、豚足、スクガラス豆腐などをオリオンビールで流し込み、タイトなスケジュールの中のオアシスを楽しみました。

戦争になる前に解決したい
 最終日は、魂魄の塔、ひめゆりの塔などを訪れました。平和祈念資料館には、目を背けたくなる写真や戦争体験証言が展示されています。「ガマ」と呼ばれる自然の壕が再現され、泣き叫ぶ赤ん坊を黙らせるよう、住民を銃剣で脅す兵士の人形がありました。ガイドの横田さんが説明します。「泣きやまない子どもを日本兵が殺したこともありました。口を押さえられている子は今、70歳。親から真実を聞かされてきた。だから沖縄の人たちには、安倍首相の考えがわかります。基地はいらないという思いが、私たちをたたかいに駆り立てているのです」。
 「戦争になれば日本人が日本人を銃剣で脅すようになる。その前に、平和的に解決したい」。キャンプ・シュワブゲート前で感じた沖縄の人々の熱意の理由に気付きました。

渋谷真樹
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2015/05/18
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投稿: 旅システム (11:28 am)
◆東京にもあった大事な遺産
 2015年3.1ビキニデー集会が開催され、北海道原水協の代表団の一員として参加しました。事前学習として1日目に東京江東区夢の島にある第五福竜丸展示館を見学しました。羽田からモノレールに乗って天王洲アイルでりんかい線に乗り換え、新木場駅で降車。夢の島公園に向かう道すがら「第五福竜丸展示館」を案内する公的な掲示板がいくつもあり驚きました。10分ほどで展示館に到着。「都立第五福竜丸展示館という「都立」という表示を見て、公的な掲示板がある理由がわかりました。しかし、こうした施設が「都立」として建設されていることのなぞを持ちながら、場内に入りました。そして、入ってすぐに現れるその船体の大きさに驚きました。さっそくボランティア説明員の方が親切に説明をしてくれます。
 同船は1947年にカツオ漁船として誕生し、その後国策もありまぐろ漁船に改修され、1954年3月1日にビキニ環礁で行われたアメリカの水爆実験により被災。2年間は国の管理下におかれ、その後水産大学の練習船として10年間使用され、老朽化のため東京夢の島に放置され、沈められる一歩手前だったとのこと。一通の新聞投書からこの船の保存運動が高まり、当時の美濃部都政の元で、東京都の施設として全会派一致で展示館が出来たとのこと。当時、革新都政の時代であったことと、全会派が一致するまでの粘り強い取り組みがあったことが、今も、入場料無料で維持されている理由だと知りました。死の灰を浴びて現存する唯一の船です。放射能汚染の心配を尋ねたところ、3年前にこの舟について線量計で測定したところ、この建物の外の方が高い数値であるとのことで、逆に衝撃を受けました。現在、同館の来場者は、修学旅行や社会見学等も含めて、年間10万人から11万人となっているそうです。


東京夢の島第五福竜丸展示館船の前にて


◆静岡駅周辺の散策、徳川家康と駿府城跡
 その後、新幹線で静岡駅に向かい駅の近くのホテルで一泊。二日目朝早く起きて、駅周辺を散策。駿府城跡の公園のさまざまな掲示物で徳川家康との深いつながりを学びました。早咲きの河津桜が見ごろを迎えていました。


近藤良明さん(写真左)


◆3.1ビキニデー集会、高校教師と高校生の調査活動を学ぶ
 原水協主催の集会と分科会が二日目にあり、そこで、高知の元高校教師の山下正寿さんの報告を学びました。勤めていた高校で、生徒たちに広島・長崎の被爆者が高知県にも多数おり、訪問して被ばく体験を学ぶ取り組みを行ったところ、あるお婆さんが「うちの息子は、2度被ばくした。一度目は長崎。そして2度目はビキニで。息子は入院しそして自殺した」と話された。何が起きたのか、本格的に調査活動を開始した。その結果、ビキニ環礁で被災したのは第五福竜丸だけでないこと。全国で沢山の被災船があること。実験は前後15年以上にわたり100回以上繰り返されていること。付近を操業した船はのべ1000船隻を超えていること。放射能被ばくと思われる症状の人びとが多数いるが、まともな調査は行われず、なんの保障もされていないこと。長年、国に情報を開示するよう求めたが拒否され続け、数年前からアメリカの情報公開によって、いくつかの事実が判りだしていること等が報告された。こうした内容をはじめて知り、衝撃を受けました。


焼津市内で開催された3・1ビキニデー日本原水協集会で
北海道原水協の嶋田さんが特別報告しました。
北海道代表団は全員登場。意見広告ポスターを揚げました。


◆久保山愛吉さんの墓前祭と核廃絶への誓い
 3月1日を迎え、焼津の駅から第五福竜丸の無線長久保山愛吉さんのお墓に向けて、小雨交じりの中を平和行進しました。途中、焼津漁港を通ってお墓に到着。「原爆の被害者は私を最後にして欲しい」と言って被爆から半年後に亡くなった久保山さん。核兵器廃絶の誓いを胸に焼香させて頂きました。
 最後に、世界大会実行委員会と現地実行委員会が行った集会には、会場いっぱいの2千人を超える人びとが参加しました。海外代表の一人マーシャル諸島共和国のピーター・アンジェインさんの核実験被害の実態と、マーシャル政府が国際司法裁判所にすべての核保有国を提訴した報告に感銘を受けました。
 戦後70年、被ばく70年、さらに平和の旅とたたかいの大切さが重要と感じ帰路に着きました。


久保山愛吉さんの眠る弘徳院へ墓参行進

近藤良明
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