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2008/11/21
カテゴリ: 缶   詰 : 

投稿: 旅システム (10:50 am)
 
 たかさき法律事務所9条の会さんが、韓国旅行をされるということでお話を伺って、一緒にプランニングをさせていただきました。
 過去の歴史の勉強だけではなく、韓国の9条の会の方たちとも親しく交流するという貴重な体験をされました。
 ここには書いていませんが、侵略の歴史だけではなく百済の歴史もおりまぜ、またおいしい食文化にも触れた有意義な旅行になったようです。
(青木)
 




 10月8日〜12日、4泊5日の韓国の旅に行ってきました。
 旅の目的は、歴史を学び、韓国にできた9条の会と交流を持つことです。
 当会は、発足以来2年が経過し、会合を重ねていくなかで、誰からともなく「みんなで韓国へ修学旅行に行こう」と夢のようにプランを描いていましたが、それがいよいよ現実のものとなりました。

独立記念館〜


 まず、キョレの家と呼ばれている中心部に位置するホールの建物の広さ高さに圧倒されました。キョレの家に立ってみると、緑に囲まれた中に815本の旗(815は45年8月15日、日本の敗戦で韓国が解放された日)が翻る広い広い広場があり、そのはるか向こうにキョレの塔が空に向ってそびえ立っていました。建設費用493億円、それが、全て人々の寄付でまかなわれたと聞き、独立記念館にかける韓国の人々の思いの強さと意志を感じました。
 展示館の建物には番号がふってあり、民族伝統館、近代民族運動館、日帝侵略館、3.1運動館、独立戦争館、社会・文化運動館、大韓民国臨時政府館とそれぞれ、テーマごとに写真や資料、ジオラマ、映像など30分から一時間ほどかけて見ることができるようになっていました。展示説明は、日本語、中国語、英語の表示がありましたが、日本語は簡略に書かれているように思われました。
 展示をできるだけゆっくりと読み進みました。大勢の韓国の小学生の団体やお年寄りのツアーなどがいらしてしましたが、そうした中で自分が歴史をきちんと学んでこなかった事への恥ずかしさ、日本の侵略によって韓国の人々に多くの苦難を与えたことへの申し訳なさ、今ここにいる日本人としての私がどう思われているのだろうという不安や、何故日本に暮らしているとこういう事実を知らずに日々を過ごしてしまうのかという疑問等いろいろな気持ちが交錯し、心の中はおろおろとしていました。
 展示館の見学を終え、朝鮮総督府の建物の屋根の一部を置いた公園に立ち寄りました。日本の植民地時代、朝鮮王朝の宮殿「景福宮」を破壊して建てられていた負の遺物です。日帝の植民地支配の象徴としてのこの建物は、撤去され、粉々のゴミにされてもおかしくない遺物だと思いますが、韓国の人々は歴史の一部として「残す」選択をしてくれたことで、時を経て今見ることができました。民族として、決して屈しない、真実の歴史を伝え続けていく心の強さを感じました。
 

堤岩教会


 日本軍による残忍な虐殺行為が行われたところです。日本の農村の集落とそっくりな田んぼと畑、曲がりくねった砂利の道のある堤岩里(チュアムリ)を訪ね、初めての場所なのに何故か懐かしい雰囲気がありました。
姜信範牧師は、1919年にこの集落で起きたことを話してくださいました。
 堤岩教会は、103年の歴史があり、教会ではいろいろな学問ができるので、多くの若者が集まっていました。指導者は主導的な役割をはたして独立運動を展開しており、日本軍はその鎮圧のため市内で残忍な弾圧をしていました。堤岩里で、日本軍は「先日の鞭打ちを謝罪するから15歳以上の男子は集まるように」という虚言で、住民を礼拝堂に集め、集まった21人を教会ごと火をつけ虐殺しました。また、集落の家々全てにも放火、駆けつけた妻二人も銃剣で刺し殺すということまで‥‥。
  
 堤岩教会にて 




 「どうしてそんなことをするのか、できるのか」ということが頭の中を渦巻きました。語られたこうした事実を、「日本人」としてとても辛い思いで聞いていました。
 牧師は韓国語で話され、同行の韓国人のガイドさんの通訳で聞いていましたが、「歴史は隠すことはできません。伝えていかなくてはいけません」と話された時は、私が辛い気持ちで聞いていることも見通され、困り果てた私の心を両手ですっと支えてくださっているように感じました。
 併設されている「堤岩里3.1運動殉国記念館」で、日本語版の堤岩里事件のDVDを見、独立運動の歴史や遺物の展示も、日本語でも表示されていて大変わかりやすかったです。また、このときはちょうど、私たちだけで貸し切りの状態でしたので、ゆっくり学ぶことができました。

西大門監獄


 西大門刑務所歴史館として独立運動の歴史の紹介や、かつてこの場で日本帝国主義者がおこなった、韓国の独立運動の活動家の拘束、監禁、拷問、虐殺などを、人形と音、声などで生々しく再現していました。獄舎、死刑場も当時のまま保存されていました。
 見ていくうちに、私は具合が悪くなってきました。
 どうすれば、このような拷問を思いつくのかと思うくらい酷く、人の行為こととは思えぬ歴史の事実に私は答えをみつけることができませんでした。私自身や、家族、身近かな人に、関わった人がいなくても、過去の日本が行った事実として、このときは日本人として生きていることを恥ずかしく感じました。
 

9条の会との交流


 ソウル市内の教会の集会室を会場に、「韓国9条の会」との交流会を持ちました。参加者は韓国の会25名、私たちは15名と想像していたよりとても多い人数に驚きました。
 まず、元帝京大学教授、韓国の東国大学名誉教授の朱先生から、反核平和運動について、韓国人からみた9条についてお話がありました。
 当会からは、高崎暢代表世話人から、日本における9条の会の活動、国際社会の中で9条の今日的意義、アジアの中での9条について話し、その後、質疑応答が行われました。
 集まった方々からは、たくさんの質問、意見が次々と出され、時間が足りなくなってしまうくらいでした。「どれくらいの人が9条の会の活動に参加しているのか」「日本は、9条を変えて、戦争を始める可能性はあるか?」「今度東京マラソンに参加するが、9条を支持する旗をもって走っても大丈夫か?」「日本には本音と建前という言葉がある。9条は建前で本音の部分では自衛隊があり、海外派兵もしているではないか?」などなど。
 会合の後には、韓国料理を囲んだ懇親会があり、交流が深められるように日本人、韓国人と交互に座って、宴がはじまりました。私は、隣に座った方から質問の連続で「会の中で、どんな役割をしていますか?」「支持政党はどこですか?」「南北の軍事境界線には行きましたか?」と英語と韓国語で話しかけられました。当会の韓国語を話せる方や通訳として参加してくださったガイドさんの助けを借りながら、いろいろな話しをしました。言葉の壁は確かにありますが、それでも、コミュニケーションは可能だという貴重な体験で、本当に会えてよかった、来てよかったと思いました。
  
 韓国の9条の会との交流会 

 今回の旅は、過去の日本の侵略行為をきちんと知り、また韓国の方々の勇敢な独立への闘いを学ぶことが私の大きな目的でした。
 こういう旅は、個人旅行では、難しいと思います。各施設を訪ねることはできても、それを消化しきれないのではないでしょうか。ここで見たこと、感じたことを話し、共有することがとても大切だと思いました。戦争=侵略は人間の尊厳を傷つける蛮行であることを再確認し、私自身大きなショックを受けてしまったのですが、仲間とともに過ごすことで、この旅で学んだことを「今後にどう生かし日々の生活に繋げていくか」まで思索を広げていくヒントをもらったように思います。
 戦争実体験のある亡義父は、中華料理を食べにいくと、厨房に行き中国の方々に「戦争中は大変ご迷惑をおかけしました」と謝罪する人でした。今回の旅を経験して、私はそうしてきた義父の気持ちを以前よりもっと身近に感じることができました。
美味しい韓国料理の数々を楽しみ、初めての海外の温泉を体験したり、オンドル部屋のホテルに泊まるなど、心躍ることもたくさんありました。
 リフレッシュというのは、単に、リラックスすることや気分転換することだけではありません。学ぶ旅も、リフレッシュにつながります。それまで体験したことのない自分の感情と向き合ったりすることで、普段の生活の視点が変化していきます。
 良い企画、そして、それの実現を助けていただいた「旅システム」の皆様に感謝します。
 
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2008/08/25
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投稿: 旅システム (10:56 am)
  のざわさんは、クリスチャンセンターに勤める傍ら、社会風刺のひとコマ漫画を描いていらっしゃいます。時事ネタの他、環境人権平和等を中心テーマに、展覧会や雑誌等で創作活動を展開中です。今回はたくさんある作品から6点を缶詰に掲載させていただきました。
(青木)
 



まわし喰い
   
 従軍慰安婦をテーマにしました。なぐさみものとなって、使い捨てられた人生を思うと、辛い気持ちになります。私には珍しく、重い色調で、気持ちを抑え切れなかった作品。


未国籍領理
   
 形が竹島に似ていますが、鉄板の上の食べ物を、日本ではお好み焼き、韓国ではチヂミと呼んでいます。ヒートアップしないうちに、卓を囲んで解りあえる日が来て欲しい。


節操なき改題
   
 同じ絵なのに、タイトルさえ代えてしまえば反対の意味になるのは、ある意味恐ろしいことかも知れません。戦意高揚作品を描いた美術家は、戦後誰も責任を取っていない。


日本語教室
   
 かつての某国首相のスローガンですが、反対から読んだところ、まったく別の意味になりました。アジア近隣諸国とは、今日までの意識のズレが続いているのでしょうか。


花咲かぬ爺さん
   
 日本の昔話でおなじみの花咲か爺さんを、米軍がベトナム戦争で撒いた枯葉剤で、パロディ化してみました。戦争を金儲けの道具にし、環境を汚染しているのはこの国です。


不自由飛行
   
 沖縄は上空から順に、米軍機、自衛隊機、民間機と飛行エリアが分かれ、その様子を、白ワシ(米国国鳥)、キジ(日本国鳥)、ノグチゲラ(沖縄県鳥)で風刺しました。
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2008/07/25
カテゴリ: 缶   詰 : 

投稿: 旅システム (9:40 am)
 
 2008年7月4日から、G8のサミットに先駆けて北海道で平和サミットが開催され、外国人を含むたくさんの方が集まりました。
 本文でも触れていますが、千歳の入管がことのほか厳しく、韓国の代表19名は足掛け3日間入管に足止めをされたあげく帰国することになりました。
 野呂さんは札幌の受け入れで中心となって活躍されましたが、その中でのできごとを今回書いていただきました。
(青木)
 



 7月5日に行われた「国際平和シンポジウム」(平和で公正な世界を!サミット北海道連絡会などが主催)でスピーカーを務めた、韓国のナム・スンミンさん。
 韓国の代表団十九名は入国を拒否されましたが、ナム・スンミンさんは農業視察で事前に大阪に来ていたために、ただ一人の韓国の農民代表となりました。

 国際平和シンポジウムで、会場からナムさんに「日本人のことをどう思っているか」という質問が出されました。その質問に「皆さん伊藤博文を知っていますか」と問いかけ「時間がないので、これを私の答えにします」となぞめいたことを述べました。

 伊藤博文は、1909(明治42)年10月26日、ロシア旅行のために満州の哈爾濱駅(ハルピン)を訪れた際、韓国独立運動の活動家でカトリック信者の安重根(アン・ジュングン)によってブローニング社製の自動拳銃で銃殺されました。
 日本では安重根をテロリストで、朝鮮併合に導いた人物としていますが、韓国の教科書では、抗日運動の活動家として「安重根記念館」に英雄として祀られています。
 安重根は、旅順の関東法院で死刑を宣告され幾程もなく同院で処刑されましたが、この主任弁護士であつたのが高知弁護士会長で元代議士水野吉太郎さんでした。

 ある日本人の娘さんが韓国を訪れた際「私は水野吉太郎のひ孫にあたります」と言ったところ、韓国では熱烈に歓迎したと言います。
 おそらく、ナム・スンミンさんは「韓国では、ふるい恩人のことは忘れない、そして日本人にはいろんなが人がいて、私たちの仲間もいる」と言うことを伝えたかったのでしょう。
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2008/01/31
カテゴリ: 缶   詰 : 

投稿: 旅システム (5:53 pm)
 
東区(北12東13)の明心は、おいしい韓国料理と店主の酒井さんのトークで、楽しくて美味しい時間を過ごせるお店です。
私の大切な栄養補給場所でもあります。
このお正月に、お店の常連さんを中心に、アンコールワットへ行く旅を企画していただきました。
とっても楽しかったみたいです。
まだまだたくさん書きたいことはあったようで、この続きは、お店でマッコリでも飲みながら、ゆっくり聞いてみてください。
(青木)
 




 札幌は場末のとある韓国料理屋のカウンターで「2008年1月1日アンコールワットへ行こう!」みどりさんの呼びかけにより、「みどりグループ」旅システム・アンコールワットツアーが実現しました。
異国の古都に夢を馳せ、語り合い、一年という期間をワット?いう間に過ごした総勢10名。

 1月のカンボジアは乾期とはいえ、日中は気温30度の予報。乾ききった赤土の道路を、土煙りをもうもうとあげてバスは走り出した。近代的なシェムリアップのホテルを少し走ると、そこはもう熱帯の密林なのだ。

 その昔、約700年もの間、繁栄を続け栄華を極めたクメールの文化都市から突如人々は去り、建築物は取り残され、朽ち、樹木に覆い隠された。その遺跡が近代、仏博物学者の発見により、忽然と姿を現した謎だらけのアンコール遺跡群。
 バスが進むにつれ、車内はしだいに不思議な緊張感に包まれていた。
 バスを降り歩いた。近付く遺跡の、その歴史が刻んだ重厚感と巨大さに息をのんだ。
 世界の様々な遺跡を見て廻ったが、通常観光客が多くて、その喧騒で少々しらけムードになるものだが、ここはその比ではなかった。他の観光客など気にならない程、その歴史に裏付けられた荘厳さに圧倒される。少々大袈裟に言えば、観光客がごった返していても、目に入らないのである。
 朝から、くだらないおやじギャグをとばし、周りから顰蹙気味の私でさえ、この遺跡群を発見したフランス人の心境にならずにはいられなかった。
そして、この遺跡群を見て廻れば廻るほど、何故これほどまで高い文明が失われたのやら?当時のクメールの民は何処へ行ったのやら?巨石を組み上げたり、計算しつくされた細かい彫刻の技術は何故生まれたのやら?等々謎は深まるばかりだ。♪あれからニシンは何処へ行ったやら〜♪
 かつては大乗小乗の仏教や、ヒンドゥー教の宗教支配を経て、近代ではポルポトの圧政の下、戦禍による崩落や弾痕が今なお痛々しく残る。
想像も難しいそんな激動の時代を乗り越え、整然と密林の奥地に佇んでいる。もう一度この聖地を訪れたくなる動機は充分揃っている。

 それにしてもシェムリアップという街は、今大変な経済変動が起きている。急激な観光地化と中国資本等の乱投資による乱開発で、ホテル、ゴルフ場、飲食店、マンション等のハードラッシュの真っ只中だ。
 その傍らで物乞いする人々、裸足の子供達…トンレサップ湖の水上生活の人々…
 雨期には水没しないように学校や体育館まで船に乗せてある。
 我が日本も暗くて貧しい時代を歩んで来てはいるが、あまりにも違う生活様式を目の当たりにして、観光とは掛け離れた衝撃に、少々凹んだ。
 しかし…子供達の目は輝いていた!雑草の如く生き生きしていた!そしてまた凹んだ。
 もっとしっかりしろ日本!と…

 さて旅はいいものである。複数で行く旅ならば、その目的地だけではなく、その貴重な時間をどんな人々と共有するかが重要だ。
 クメール料理に舌鼓を打ちながら観たクメール美人の妖艶な伝統舞踊。
現地の酒に酔い任せで語り合った夜。
 仲間がいいと、食べる物も美味しい!観る物も素晴らしい!
 今回も素晴らしい仲間と本当に楽しく愉快な旅(珍道中?)が出来て感謝します。

 もう一度あの地へ!もう一度この仲間と!アンコール!!アンコール??
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2007/10/30
カテゴリ: 缶   詰 : 

投稿: 旅システム (8:00 pm)
  知的障害者通所更生施設 ジャンプレッツさんでは、今回職員の方の研修旅行で韓国に行っていただきました。
 第1回缶詰に登場して下さった施設長の北川さんの熱い思いを受けて、若い職員の方々が韓国で初めて経験する色々な思いを書いていただきました。

 いつも笑顔の遠田さんは生活支援員としてジャンプレッツで活躍する4年目の職員です。
 若いけど係長さんとして重責をになっています。
 毎週金曜の午前中はスワンのフロアでパンを販売しています。
(青木)
 




 この旅は私にとって、自分自身の知らない感情・歴史・国を知る旅でした。
はじめての海外旅行で、まずはパスポートを手にしてひとりひそかに感動していました。
 そんな小さなことからはじまり、旅をする中では「感動」することがとにかく多く、いろんな感情に振り回され、今まで感じたことのない感情の振り幅を経験した旅でした。

 私は日本と韓国の間にある歴史についてほとんど知りませんでした。教科書で覚えたぼやけた知識なんて、まるで役立たず。
 日本人によって焼き討ちにあった堤岩教会、日本軍慰安婦であった女性達が生活するナヌムの家で資料やお話を聞き、とにかく事実を知れば知るほど胸がつぶれる思いで何度も涙が出るのをこらえました。日本が犯した目を覆いたくなるようなひどい歴史がそこにあり、戦争を経験していない世代の私たちであっても「知らない」では済まされないと感じました。「知らない」ということがどれほど恐ろしいことか。 
 ナヌムの家では、当時慰安婦であったハルモニが証言するVTRを見せていただきました。そのなかで、日本による謝罪や賠償がなされていないこと、若い世代には歴史を知る必要があることを話されていました。
 また、ナヌムの家で飾られていたハルモニたちが描いた絵には、悲しみも叶えたかった願いもいろいろなものが描かれていたけれども、なぜか私は韓国の国花であるムクゲがとても多かったことに目を引かれました。悲痛な日々のなか、故郷を想う気持ちがどれほど強かったのかを感じました。
 普通に生活していると、私は日本人なんだと意識することは滅多にありません。例えば、私は風呂敷の古風な感じが好きですし、習字の墨のにおいも大好きです。そういう和の文化には興味を持っていても、自分のアイデンティティとして「日本人である」ということはほとんど意識したことはありませんでした。それが日本の外に出てみれば、文化の違いに当然のこととして「日本は・・・」と意識せざるを得ないことが発見でした。経験しないとわからないものです!
 「許しこそすれ忘れるなかれ」堤岩教会の展示資料に書かれていた言葉が印象に残りました。韓国には自分たちの国や民族の存在を日本に脅かされてきた歴史があるけれども、これからの未来を見ているとても前向きな言葉であると思いました。
 日本大使館前で、日本に対して謝罪を求めた「水曜集会」が毎週欠かさず続けられてきています。しかし、1度だけ行われなかったことがあり、それが阪神大震災のときだったそうです。日本が大変なときだから、そう決断するのは平和を願う人たちだからこそでしょう。
 今回私が見て聞いて学んできたものは「過去」の出来事であり、それを「現在」に生きる私が自分のなかに衝撃や感じたことのない痛みや感情とともに知ることができました。経験として知り得た歴史は、確実に心に残りました。平和を願うのであれば、もっと知ることが必要、そう感じた気持ちを大切にしたいと思いました。


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