缶 詰 |
![]() ![]() |
最新エントリ
2008/11/21
カテゴリ: 缶 詰 :
投稿: 旅システム (10:50 am)
|
2008/08/25
カテゴリ: 缶 詰 :
投稿: 旅システム (10:56 am)
|
|
2008/07/25
カテゴリ: 缶 詰 :
投稿: 旅システム (9:40 am)
|
7月5日に行われた「国際平和シンポジウム」(平和で公正な世界を!サミット北海道連絡会などが主催)でスピーカーを務めた、韓国のナム・スンミンさん。 韓国の代表団十九名は入国を拒否されましたが、ナム・スンミンさんは農業視察で事前に大阪に来ていたために、ただ一人の韓国の農民代表となりました。 国際平和シンポジウムで、会場からナムさんに「日本人のことをどう思っているか」という質問が出されました。その質問に「皆さん伊藤博文を知っていますか」と問いかけ「時間がないので、これを私の答えにします」となぞめいたことを述べました。 伊藤博文は、1909(明治42)年10月26日、ロシア旅行のために満州の哈爾濱駅(ハルピン)を訪れた際、韓国独立運動の活動家でカトリック信者の安重根(アン・ジュングン)によってブローニング社製の自動拳銃で銃殺されました。 日本では安重根をテロリストで、朝鮮併合に導いた人物としていますが、韓国の教科書では、抗日運動の活動家として「安重根記念館」に英雄として祀られています。 安重根は、旅順の関東法院で死刑を宣告され幾程もなく同院で処刑されましたが、この主任弁護士であつたのが高知弁護士会長で元代議士水野吉太郎さんでした。 ある日本人の娘さんが韓国を訪れた際「私は水野吉太郎のひ孫にあたります」と言ったところ、韓国では熱烈に歓迎したと言います。 おそらく、ナム・スンミンさんは「韓国では、ふるい恩人のことは忘れない、そして日本人にはいろんなが人がいて、私たちの仲間もいる」と言うことを伝えたかったのでしょう。 |
2008/01/31
カテゴリ: 缶 詰 :
投稿: 旅システム (5:53 pm)
|
![]() 札幌は場末のとある韓国料理屋のカウンターで「2008年1月1日アンコールワットへ行こう!」みどりさんの呼びかけにより、「みどりグループ」旅システム・アンコールワットツアーが実現しました。 異国の古都に夢を馳せ、語り合い、一年という期間をワット?いう間に過ごした総勢10名。 1月のカンボジアは乾期とはいえ、日中は気温30度の予報。乾ききった赤土の道路を、土煙りをもうもうとあげてバスは走り出した。近代的なシェムリアップのホテルを少し走ると、そこはもう熱帯の密林なのだ。 その昔、約700年もの間、繁栄を続け栄華を極めたクメールの文化都市から突如人々は去り、建築物は取り残され、朽ち、樹木に覆い隠された。その遺跡が近代、仏博物学者の発見により、忽然と姿を現した謎だらけのアンコール遺跡群。 バスが進むにつれ、車内はしだいに不思議な緊張感に包まれていた。 バスを降り歩いた。近付く遺跡の、その歴史が刻んだ重厚感と巨大さに息をのんだ。 世界の様々な遺跡を見て廻ったが、通常観光客が多くて、その喧騒で少々しらけムードになるものだが、ここはその比ではなかった。他の観光客など気にならない程、その歴史に裏付けられた荘厳さに圧倒される。少々大袈裟に言えば、観光客がごった返していても、目に入らないのである。 朝から、くだらないおやじギャグをとばし、周りから顰蹙気味の私でさえ、この遺跡群を発見したフランス人の心境にならずにはいられなかった。 そして、この遺跡群を見て廻れば廻るほど、何故これほどまで高い文明が失われたのやら?当時のクメールの民は何処へ行ったのやら?巨石を組み上げたり、計算しつくされた細かい彫刻の技術は何故生まれたのやら?等々謎は深まるばかりだ。♪あれからニシンは何処へ行ったやら〜♪ かつては大乗小乗の仏教や、ヒンドゥー教の宗教支配を経て、近代ではポルポトの圧政の下、戦禍による崩落や弾痕が今なお痛々しく残る。 想像も難しいそんな激動の時代を乗り越え、整然と密林の奥地に佇んでいる。もう一度この聖地を訪れたくなる動機は充分揃っている。 それにしてもシェムリアップという街は、今大変な経済変動が起きている。急激な観光地化と中国資本等の乱投資による乱開発で、ホテル、ゴルフ場、飲食店、マンション等のハードラッシュの真っ只中だ。 その傍らで物乞いする人々、裸足の子供達…トンレサップ湖の水上生活の人々… 雨期には水没しないように学校や体育館まで船に乗せてある。 我が日本も暗くて貧しい時代を歩んで来てはいるが、あまりにも違う生活様式を目の当たりにして、観光とは掛け離れた衝撃に、少々凹んだ。 しかし…子供達の目は輝いていた!雑草の如く生き生きしていた!そしてまた凹んだ。 もっとしっかりしろ日本!と… さて旅はいいものである。複数で行く旅ならば、その目的地だけではなく、その貴重な時間をどんな人々と共有するかが重要だ。 クメール料理に舌鼓を打ちながら観たクメール美人の妖艶な伝統舞踊。 現地の酒に酔い任せで語り合った夜。 仲間がいいと、食べる物も美味しい!観る物も素晴らしい! 今回も素晴らしい仲間と本当に楽しく愉快な旅(珍道中?)が出来て感謝します。 もう一度あの地へ!もう一度この仲間と!アンコール!!アンコール?? |
2007/10/30
カテゴリ: 缶 詰 :
投稿: 旅システム (8:00 pm)
|
![]() はじめての海外旅行で、まずはパスポートを手にしてひとりひそかに感動していました。 そんな小さなことからはじまり、旅をする中では「感動」することがとにかく多く、いろんな感情に振り回され、今まで感じたことのない感情の振り幅を経験した旅でした。 私は日本と韓国の間にある歴史についてほとんど知りませんでした。教科書で覚えたぼやけた知識なんて、まるで役立たず。 日本人によって焼き討ちにあった堤岩教会、日本軍慰安婦であった女性達が生活するナヌムの家で資料やお話を聞き、とにかく事実を知れば知るほど胸がつぶれる思いで何度も涙が出るのをこらえました。日本が犯した目を覆いたくなるようなひどい歴史がそこにあり、戦争を経験していない世代の私たちであっても「知らない」では済まされないと感じました。「知らない」ということがどれほど恐ろしいことか。 ナヌムの家では、当時慰安婦であったハルモニが証言するVTRを見せていただきました。そのなかで、日本による謝罪や賠償がなされていないこと、若い世代には歴史を知る必要があることを話されていました。 また、ナヌムの家で飾られていたハルモニたちが描いた絵には、悲しみも叶えたかった願いもいろいろなものが描かれていたけれども、なぜか私は韓国の国花であるムクゲがとても多かったことに目を引かれました。悲痛な日々のなか、故郷を想う気持ちがどれほど強かったのかを感じました。 普通に生活していると、私は日本人なんだと意識することは滅多にありません。例えば、私は風呂敷の古風な感じが好きですし、習字の墨のにおいも大好きです。そういう和の文化には興味を持っていても、自分のアイデンティティとして「日本人である」ということはほとんど意識したことはありませんでした。それが日本の外に出てみれば、文化の違いに当然のこととして「日本は・・・」と意識せざるを得ないことが発見でした。経験しないとわからないものです! 「許しこそすれ忘れるなかれ」堤岩教会の展示資料に書かれていた言葉が印象に残りました。韓国には自分たちの国や民族の存在を日本に脅かされてきた歴史があるけれども、これからの未来を見ているとても前向きな言葉であると思いました。 日本大使館前で、日本に対して謝罪を求めた「水曜集会」が毎週欠かさず続けられてきています。しかし、1度だけ行われなかったことがあり、それが阪神大震災のときだったそうです。日本が大変なときだから、そう決断するのは平和を願う人たちだからこそでしょう。 今回私が見て聞いて学んできたものは「過去」の出来事であり、それを「現在」に生きる私が自分のなかに衝撃や感じたことのない痛みや感情とともに知ることができました。経験として知り得た歴史は、確実に心に残りました。平和を願うのであれば、もっと知ることが必要、そう感じた気持ちを大切にしたいと思いました。 ![]() |