2024年9月29日 青天の札幌駅南口にアウトドアテーブル2個と、「ひまわり号」ののぼりを立てて、参加受付の準備をするーだんだんと気持ちが高ぶる私・・・5年ぶりに味わう「ワクワクと不安」が入り乱れる感情を覚えたー
札幌発のひまわり号は1985年11月に895名で行った余市への旅から年に1~2回、列車を使って障がいをお持ちの方とボランティアが創る、Friendship Trainで2019年の由仁への旅まで35年、休まず実施していた。
しかし、2020年から世界中を苦しめた「新型コロナウィルス」-世界中のありとあらゆる生活を一変、今までに経験したことのない感染の波にひまわり号も呑まれ、継続催行の道が途絶えた。
昨年の冬、当実行委員会の実行委員長を担った後藤昌男氏が逝去され、後を追って、長年ひまわり号を支えてくれた「旅システム」の社長、内山博氏が逝去され、実行委員会は悲しみに包まれた。
そんな中、「後藤先生や内山さんが悲願だった列車の旅をやりたい!」と山田事務局長の音頭から実行委員会は前を向き準備を開始、旅システムを通じてJR北海道へ貸切列車の調整を依頼―小樽への列車の旅へ向けて準備を開始した。
しかし準備は前途多難・・・JRさんの体制ががらんと変わり、JRの調整も難航。すべてが振出しに戻っての調整となり、参加費(旅行代金)は学生さんの参加を考慮して抑えないといけない中、貸切バスは料金の高騰や運行に制限があったりと利用は難しいため、小樽到着後はすべての時間自由散策にする方向で調整することに。
ただ、小樽の観光名所「堺町通り」には海鮮丼屋さんなど観光客相手の金額で、自由散策の参加者には負担が大きすぎるため、リーズナブルなお店を現地調査や聞き込みなどで必死に検索し、しおりに掲載した。
さらに、万が一体調不良者が出た際や、坂道小樽での移動を考慮して送迎車の手配でデイサービスとかけあったり、休憩場所として使える場所を探したり手配を行った・・・ などなど、我々健常者はすぐにできる旅でも、様々な高い課題が多く出たが、その壁をみんなで乗り切り、参加者を迎えることにー。
当日は障がい参加者32名、ご家族(介護者)14名、ボランティア69名の115名が集まり、貸切電車3両で朝9時に札幌駅を出発、小樽駅まで向かい、到着後解散。歩行が難しい方向けに札幌市の福祉バスや送迎車を使って運河方面へ送った。
参加者の中には手宮線を歩き、終点の小樽市総合博物館へ向かう方もいらっしゃれば、歴史情緒ある小樽運河や名所の堺町通りを人込みかき分けて散策を楽しまれたようだ。
堺町通りで会われた参加者さんはたくさん歩かれたようだが、とても表情がよかったのが印象的だった。
それぞれが楽しんだ小樽散策を無事に終え全員が小樽駅に戻り、帰りの電車に乗り小樽を後に。
夕焼けに染まる海沿いを走りながら楽しかった旅を笑顔で振り返りながら、あっという間に札幌駅に到着。
最後に南口でのサヨナラセレモニーは115名全員が体調崩すことなく、笑顔で帰ってこられたことを分かち合い、1本締めで旅を終えた。
今回、高校生、大学生をはじめ、たくさんの初参加の方が多くみられ、ひまわり号の楽しさや障がいを持たれた方との接し方など、多くの不安を感じながらも、一緒に旅ができたことを経験され、とてもよかったと振り返られた方がとても多かった。
集合の時にみた、緊張感ある顔だった初参加のボランティアさんも、徐々に表情が緩んでいく様子がみられ、最後にはとてもいい顔で帰ってこられた様子を見て、ひまわり号の楽しさを味わえたようだった。
今年で40年目を迎えたひまわり号、コロナ明けの5年ぶりの列車の旅は、高い壁を全員で乗り越え、事故なく無事に終えることが出来たことは現在の実行委員会に大きな糧となったのはまちがいないと思う。
課題をしっかり振り返り、来年の列車の旅への準備を積み重ねていけたらと思う。
ご協力いただいた皆様、ご参加いただいた皆様、ありがとうございました!
ひまわり号を走らせる札幌実行委員会
事務局次長 内田 慎吾