「戦争の悲惨さを知り、平和の尊さを学ぶ」沖縄ツアー。いつか参加したいと思っていましたが、今回、思いがけず参加することになりました。
沖縄のことは、これまでも、講演や新聞や本等から聞いたり見たりして、知識としては知ったつもりになっていましたが、実際に行って感じる空気や、現地の方のお話、沖縄の基地の様子をこの目で見て感じたことの意味は大きいものがありました。
折しも、6月23日は、沖縄慰霊の日。玉城デニー知事が平和宣言の中で、「戦争体験者が、戦争の不条理と残酷さを、後世に語り継いできてくれた実相と教訓を胸に刻み、あらゆる戦争を憎み、二度と沖縄を戦場にしてはならないと決意を新たにする」と述べていました。その通り!沖縄ツアー初参加の私の感想は、この知事の言葉がまとめてくださったと思いました。
沖縄に行ったのは、6月10日から13日の4日間。埼玉県平和委員会から、用意された資料は私の知りたいことが満載でした。バスの中での学習は現地の様子を理解する上で大変有効でした。一日目は、伊江島の見学。那覇から、バスで移動中も、基地が見えたり、琉球セメントの山から、辺野古の埋め立ての土砂を運び出すダンプを見たり、在日米軍専用施設の面積の約70,3%が沖縄にある。そして、沖縄の15%に米軍基地があるという事を聞き、さながら、基地の中をバスが走っているような錯覚を覚えました。伊江島では、奇跡的に全員が集団自決しないで助かったニヤテイヤガマを見ました。
生死を分けたチビチリガマとシムクガマの話も衝撃でした。翌日見学した「命どう宝」の家の反戦平和資料館で見た「……生きていては、天皇に申し訳ないと自決していった人々」という言葉に、なんという軍国教育の恐ろしさ。あまりにも悲惨な資料の一つ一つに胸が苦しくなり、謝花悦子さんの阿波根昌鴻さんの不屈の戦いのお話に胸が熱くなりました。
高江で宿泊。伊佐さん夫妻のお話、埼玉から移住して沖縄の戦いに参加している方のお話。やんばるの豊かな自然の向こう側には、米軍の基地が広がっている現実。バーベキューで盛り上がった夜の交流会で、見上げた夜空の星の美しさ。次々と飛び出す歌の数々に青春時代に戻ったようで、楽しい時間を過ごしました。
3日目は、辺野古に行きました。普天間の代替施設としての辺野古の埋め立てについて、県民投票で反対という民意を示したのに強行。大浦湾の一部の海底は、マヨネーズ状態といわれるほどの軟弱地盤のため、工事は難航し長期にわたると言われているそうです。その辺野古のゲート前の毎日の座り込みの抗議行動は、すごいことです。私たちも一緒に座り込み、その後テントに戻る時話してくれた「私ら沖縄の人は、あのコンクリートとで固められた土手の間から、生えてくる草と同じだよ。」の言葉に、強さを感じました。でも、その表情は、とても穏やかでした。次の見学地は、嘉手納基地です。。C130やF35など名前の分からない飛行機がタッチアンドゴーを繰り返していました。騒音を示す掲示板には、「75、95、105という数字が瞬間に変わり、このすごい音の中で、基地周辺の方は暮らしているのか。この訓練は、何のために?すぐにでも戦争が始まるのではと思えてくるような気がしました。
最後の4日目は、南風原陸軍壕に行きました。負傷した兵隊が運ばれてきて、治療を受け、最後には、青酸カリを盛られて亡くなった兵隊もいたとのこと。でも、ただ一人これはおかしいと吐き出し、助かった人がいた。ほんとに、救われた思いがしました。想像しただけでも、無残な恐ろしい亡くなり方をした多くの沖縄の人のことを思うと胸が苦しくなるばかりです。改めて、沖縄を再び戦場にしてはならない。そのことは、日本全体にいえることです。本当に平和の尊さを学ぶ旅でした。
埼玉 石井 早苗