旅システムから送られてきた『平和の旅』のチラシ。その中のひとつ、「岩内・ニセコ文学と美術をめぐる旅」の「岩内」二文字に目が止まりました。新型コロナ対策で自粛ムードの下、参加は我慢するべきだと心にささやく声が……。でも、「泊発電所を見下ろす高台に……水上勉・窪島誠一郎親子が原発を憂えて作った『三行の希い』の碑が……」、この案内文を読んだら、もう我慢なりません。即、参加を決めました。
9月10日出発、バスでは本来の二人掛けに一人ずつ。見学時には、検温・手指の消毒、“密”を避けて参加者を4班に分けるなど、コロナ対策は万全。これは、“どうみん割”でした。
中山峠を越えて京極町市街に入ったバスが止まったのは光寿寺の前。昭和3年2月12日、小林多喜二が日本で初めての普通選挙に立候補した労農党候補者の応援演説を行った会場です。当時は東俱知安と呼ばれていたそうです。「こんなに入った演説会は殆どありませんよ」と、当時の住職が言ったと小説『東俱知安行』に多喜二が記しています。今、その同じ場所にいること(もちろん、足下の畳が当時のままであるはずはないだろうが)、感慨深いものがありました。
ふきだし公園内「名水プラザ」で昼食後は、有島記念館を見学。そのあとニセコパノラマラインを通って、大湯沼、神仙沼へと回りました。今回は残念ながら花の時期は過ぎていましたが、広々とした湿原では草紅葉が始まっていました。周辺の木々が紅葉するころはさぞかし見事でしょう。
岩内に入り、今日の宿は老舗の高島旅館。4代目若主人の出迎えを受けました。きびきびした動き、この大変な時期を何とか乗り切るぞという心意気が伝わってきて頼もしい。若手の活躍といえば、二日目の弁当を作ってもらった岩内町の蒲鉾店も5代目。町内地図『いわない・ごあんない!』を見ると、大規模スーパーなどではなく個人商店が各通りに多くある。今回初めて町の中に入ってみて、明るい将来を感じたのですが……。
さて、目の前にある原発について、彼ら若手たちはどのように考えているのかな。将来子どもたちにこの街を引き継ぐとき、自信をもって手渡せるような選択をしてほしいと切に思うのです。
二日目の早朝、旅館から徒歩3分の『三行の希い』の碑を訪れました。原発を見下ろす高台、海に向かって斜面の木々の枝が伸びて視界を遮りますが、背伸びしたりしゃがんだりして、海の向こうに朝日に白く輝くドーム屋根が三つ見えました。原発のすぐ右側に小さく泊村が、そして、左側には神恵内村が見えます。“原発に反対の意思を表す”碑の建立に“良い顔をしない”町との長い交渉の末、ようやく出来たこの碑。碑文には『「核」を 絵筆で塗りつぶせ ペンで書きあらためよ』と、文字どおり三行のみ。
このところ寿都町や神恵内村で問題になっている「核ゴミの置き(棄て)場所」の是非を考えるのはもちろんのことですが、(再)稼働することで「核のゴミを出し続ける原発」の存在そのものを忘れてはならないでしょう。
『きのこ王国』で仁木産さくらんぼ“ニキボー”使用🍒さくらんぼケーキを買って、余市から高速道路に乗り、午後5時札幌駅到着。久しぶりの旅ということで、バスの中、食事中にも、あちこちで楽しいおしゃべりの弾む「岩内・ニセコの旅」は終わりました。
旭川 武藤美耶子